ボーク重子
名前:ボーク重子(ボーク しげこ)
生年月日:1965年
年齢:52歳
出身:福島県伊達郡川俣町
職業(現在):ワシントンDCアート専門ギャラリー運営
旦那様:Timothy Bork(ティムジョセフボーク)
ティムジョセフボークさんはかなり年上の民間投資会社「skye LLC」の社長さん!!
現在はワシントンDC在住のボーク重子さん
大学卒業後外資系の会社に就職し、アートを学ぶためにロンドンの大学へ進学。
現代美術史の修士号を取得、具体的な大学名は公表されていませんが、卒業後は外資系の会社に就職されているので、中々の大学ではないでしょうか?
52歳なのですが踊る!さんま御殿!!でもノースリーブを着ていたように若々しい印象を受けます。
娘さんの教育法で注目を浴びたボーグ重子さんですが、そんな娘・スカイさんは・・・
2017年の「The Distinguished Young Women of America」で優勝されます。
日本では、「全米最優秀女子高生」と訳されるものです。
まずはボーク重子さんの経歴を・・・
ボーク重子の経歴は?
前述に記載したように全米最高の女子高生を育て上げたボーク重子さんですが。
幼少期はどうだったのでしょうか?
福島県にて育ったボーク重子さん、お母さんは入塾すると必ず点数が上がる英語塾を経営。
父親は専業主婦的役割の家庭で育つボーク重子さん。
家のトイレの中まで百人一首が壁一面に張られるほどの詰め込み教育で育ちました。
2~3歳差の従妹といつも比べられ
勉強でも『従妹の○○ちゃんの方が優秀ね』
日本舞踊をしても『○○ちゃんは上手ね、重子ちゃんはもうそこで座って見てて』
弟が生まれれば今度は弟と比較される・・・中々厳しい幼少期だったボーク重子さん、いつも誰かと比較されていて認められることのない生活を送っていたのです。
それでも、なんとしても母に認められたいと必死に頑張りを見せて、
中学校2年生頃までは福島県で5位の成績を収めるなど、学業は優秀だったようです。
しかし、ある日急に、「もし点数が下がったらどうしよう」
と漠然とした不安から何の為に勉強をしているのか分からなくなったと言います。
成績が下がり始めたそうです(;´・ω・)
点数が下がる事で母に認めて貰えず、母に愛されないと思ったら・・・
『自分の価値は勉強だけなのか・何の為に生きているのか?』
思春期になり、自己の確立がされていく中で、心の葛藤が大きくなって行った様です。
中学校時代
中学校では、音楽会でピアノ担当になり本番で立派に演奏するはずが、極度の緊張のため途中から弾けなくなるという経験もされ、これが今後トラウマになってしまう。
この頃の重子さんはご本人曰く、
『ダメな葉っぱに何枚も何枚もくるまれたキャベツだった』
と表現されていました。
心がポキッと折れてしまったボーク重子さんは、高校受験間際でも勉強せず成績はさらに下がります。
高校時代~大学時代
なんとか高校に入学したボーク重子さん、音楽に興味を持ちバンド活動をすることに!
しかしそれすら親御さんに認めて貰えず・・・
大学にもなぜ行くのかが分からなくなっていたボーク重子さん。
母から行けと言われたから行ったんだそう。
大学卒業後は外資系会社に就職。
大学卒業後~
外資系会社に就職しアメリカの方と付き合っていたボーク重子さん。
プロポーズか!と思った際に・・・
『君と結婚したらその後はどういう風に生きていくの?』
と変わった質問をされる(^_^;)
『どう生きるって?子供を産んで貴方の面倒を見たいと思います』
と、ありのままを答えると。
『僕はそれだけの人はいらない』
と言われ振られたという(;・∀・)
私はそれだけの人じゃない!!!!
と頭に来たボーク重子さんは外資系の仕事を辞めイギリスの大学院へ!アートを学びに留学、現代美術史の修士号を取得、その大学留学中に知り合ったのが現在の御主人なんだそうです。
ボーク重子の職業
2004年にワシントンDC初のアジア現代アート専門ギャラリーをオープン。
現代美術画廊をオープン!!
まず第1にアメリカという異国で、子持ちの女性が起業する事自体、勇気のいる事。
さらに美術画廊をオープンさせるには資金が必要で、筋の良い人脈が無ければ成功はかなり難しいのだそうです。
さらにさらに、これは業界では常識でアメリカの美術マーケットの顧客は白人か、ユダヤ人がにぎっていて、人種差別等も多数あり、そこにアジア人が割って入り込む事は至難の技なんだとか・・・それでも諦めずに、オープンから2年後!!
米副大統領夫人、美術館や有名コレクターなどVIPが顧客のトップギャラリーに!!
2006年には、アートを通じての社会貢献を評価されワシントニア誌によってオバマ大統領やワシントン・ポスト紙副社長と共に。。。
【ワシントンの美しい25名】
にも選出されると言う偉業も達成。
そんな波乱万丈なボーク重子さんの人生を経て今度は自身が子育てをする立場に!
そしてどのような子育てをして行ったのか?
ボーク重子さんの教育方法とは?
1998年結婚を機にワシントンDCに移住したボーク重子さん。
娘のスカイボークさんを出産。
まずボーク重子さんは・・・
「娘のスカイには比較の文化で育ってほしくない!」
「そのためには、まず母である私が変わろう!!」
母の教育方法のトラウマは断ち切り考え方を改めたボーク重子さん。
そしてアメリカでの教育は【パッション=情熱】
子供が何に興味を持っているか?
そしてパッションがどこにあるかを見極めて、それを伸ばして行く事が大事なんだそう。
好きな事を打ち込むからこそ、失敗しても立ち直れますし。苦手な事にも挑戦しようと思えるエネルギーが湧くのです。
パッションに従う事で勉強の妨げになる事が無くなり、時間の使い方が上手くなる、集中力も付くという。
人格形成の大事な時期に子供がパッションを感じる事に打ち込める時間を与える事が重要であり、これが人間力を養う為にとても重要な事である!!
とボーク重子さんは語っています。
[勉強の前にまず、人間としての成長が大事]
親はどうしても目先の成績を見てしまいますが、もっと長い目で子供の成長を見守る事で、結果的に子供の能力が伸びるのです!!
ボーク重子の子育て方法とは?
ボーク重子さんが子育て方法で気を付けている事。
①自分の時間を大事にする。
夜10:30〜朝7:30まではママの時間、と決めています。
どんなことがあろうとこの時間は自分の時間であることを貫き、ボーク重子さんは自身の画廊としての仕事も成功されています。
母をリスペクトする娘のスカイボークさんはこれにより他人をリスペクトする事も学びました。
②お手伝いさせる事
娘にまず【家族の一員である】と感じて欲しかったというボーク重子さん。
娘さんがどんなに習い事のバレエの練習が忙しかろうと娘さんが担当する家の仕事は必ず全うさせたと言います。
そしてお手伝い推させる際、命令形でなく
『これはママよりスカイの方が上手だからお願いできる?』
と、わが子が親より優れている点を認める声かけでお願いするのです!
これにより子供は・・・
「困っている親の役に立とう!」とまず頑張る
☟ ☟ ☟
「役に立てた!」と子供に自信がつく
☟ ☟ ☟
「また役に立ちたい!」と子供が思う
このような思考サイクルを生み出す。
③危ないは言わない
よほどのことが無い限り『危ない』と言う理由で子供の行動を制限しない。
これは子供のチャンスを奪わない為。学ぶチャンスを遮らない為です。
ちょっとぐらい危ない事をして、痛い目にあったからと言って、そこから学ぶことが一生の力になります。
親はそこでガードしてしまうと、何も挑戦できなくなってしまいます。
『どんどん転んで立ち上がって自分で受け止める経験が必要』
④子供1人で過ごすスペースを与える
ボーク重子さんが【アートルーム】と名付けた部屋があるそう・・・
娘のスカイさんが一人で何をやってもよいスペースにしているそうです。
そこが例え散らかっていようとそれは本人の自由、一切注意をしなかったそうです。
「自分1人で過ごせるスペースがあると好きな事に没頭できるし、1人で様々な考えを巡らす事もできます」
ボーク重子さん自身が自分時間を過ごしている時には、スカイさんはこのアートルームスペースで1人で過ごし、自然と思考力を伸ばしていったのです。
⑤我が子に親の思いを背負わせない
【子供と自分は違う】
まずコレを意識しないと子供は自分の存在を認められなくなります。
【親はわが子に自分の期待・希望・コンプレックス・恐怖を背負わせないこと】
子供に親の価値観を押し付けない、押しつける事は【逆に親が我が子の限界を作っている】事になり自信が持てない子になってしまうんだそうです。
これは要するに【ボーク重子さん自身が歩んだ道】だったのです。
人生を歩くのは子供。道の途中で子供が困難に直面しても、親が身代わりになる事は出来ないんですね。
だからこそ子供がパッションを持って自分の力で生きて行ける道を選べるよう、親子が【対話】を通じて子供が何をやりたいのか?
などを主体的に考えていける様にすることが大事だと語っていました。
まとめ
ボーク重子さん自身の人生は非常に共感と痛いほど分かる人生ですね。
親としての痛い所もしっかりと突いています、良くやってしまいます・・・(;^ω^)
子供の為に親が出来る事、それ自体が分かっていない自分がいたりしますしね。
そしてそれを反面教師にしたボーク重子さん。
ボーク重子さんの子育て法、参考にしたいですね。
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