山口小夜子の若い頃~晩年、現在までを死因と共に解説【爆報フライデー出演!】

2019年12月6日爆報!THEフライデーにて放送された伝説のパリコレモデルを紹介する回。

日本のモデル界の先駆者と言える人物、今回は没後長い年月を経た今でも語られる彼女についてのお話です。

目次

山口小夜子とは?

知る人ぞ知るスーパーモデル・山口小夜子。

ジャンポール・ゴルチェやイヴ・サンローラン、山本寛斎、高田賢三などなど名だたる一流デザイナーたちに愛され、国内でも大手化粧会社からも専属契約をするなど、日本モデル界の先駆者であり日本のモデル界を牽引してきた人物。

ただこれだけ知名度をある人物でありながら、プライベートは全く明かされておらず、年齢も非公開だった彼女。

今回は2007年に突如この世を去った山口小夜子さんの晩年と死因、今尚伝説となっているる現在。

東洋の神秘と言われた彼女にスポットを当てて解説して参ります

山口小夜子さんプロフィールと死因

名前:山口小夜子(やまぐち さよこ)

生年月日:1949年9月19日

没年月日:2007年8月14日

出身地:神奈川県横浜市

身長:170㎝

死因:急性肺炎

山口小夜子さんの死因

死因は急性肺炎としているが本当に急逝で最後の出演映画となった【馬頭琴夜想曲】の監督は1週間ほど前に会ったばかりだったと語っており以下に急逝だったかが分かる。

57歳と言う若さで他界した山口小夜子さん。

急性肺炎とは、肺が広範囲にわたり傷を受け、急激に酸素を取り込めなくなり身体が低酸素状態に陥ってしまう病気。

原因はウイルス感染が多いと言う。

しかし未だ原因は不明。山口小夜子さんは自宅で亡くなり3日後に発見されています。

急性肺炎が死因ですが【孤独死】と言われています。

お別れ会では1000人から献花を受けたそうです。

結果、結婚もせず子供もおらず、仕事一筋で終えた人生となったと言います。

山口小夜子さん若い頃と晩年の活動

山口小夜子さんは若い頃から白肌に切れ長の小夜子メイク・・・を確立させ、自らの事を【ウエアリスト(着る人)】と称していました。

世間からは【東洋の神秘】と称された彼女。

晩年は若いアーティストと共に、音楽や映像、朗読、ファッション、ダンスなどを組み合わせた総合芸術なパフォーマンス活動を行っていたと言います。

晩年はモデルだけでなく女優業を勤しみ活動を映画や舞台と言う場所にまで広げ活躍していました。

しかし【東洋の神秘】と言われた山口小夜子さんはドールと呼ばれるほどで人前で笑う事も無く、さらには亡くなるまで体調の悪さも気付かれず、病院に行く事さえも無かったと言われ晩年の活動すらもどのような気持ちで取り組んでいたのかすら謎に包まれていると言います。

山口小夜子さんの現在の存在感

ニューズウィーク誌では今尚【世界トップモデル6】の中に東洋人として初めて選出された人物として伝説的に取り扱われています。

2018年2月には没後11年経過しているにも関わらず、彼女の偉業を称えるポップイベントが表参道のジャイルにて開催!

山口小夜子さんを常にインスパイアされる存在と語る世界的に活躍する【高田賢三】さんにより、小夜子イズムは継承され現在も山口小夜子の世界観は生き続けています。

山口小夜子さん晩年と死因、現在のまとめ

自らを【ウエアリスト】と名乗り、【着る】ことに関して最期までストイックな姿勢を貫いた山口小夜子さんは現在世界的デザイナーの高田賢三氏にとってまさに【ファッションの女神を超えた絶対神】といえる存在だったそうです。

【世界トップモデル6】に選出される山口小夜子さんは日本的な美を追求しつづけた、唯一無二の存在として、没後10年以上となる現在、そして今後もファッション界、ひいてはアート界に影響を及ぼし続けて行く事でしょう。。。

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